「放棄」と「諦める」は、どちらも「行動しないこと」を表現しますが、以下のような違いがあります。
- 放棄:自分の意志でやらないと決めること
- 諦める:自分の意志とは関係なく、希望や見込みがないため、やれないこと
このページでは「放棄」と「諦める」の違いについて、詳しい意味と具体的な使い方とともにわかりやすく解説しています。
「放棄」と「諦める」の意味と例文
まず、「放棄」「諦める」の意味を辞書で確認しておきましょう。
【放棄】
投げ捨ててかえりみないこと、自分の権利・資格などを捨てて行使しないこと。
引用:weblio国語辞典
【諦める】
もう希望や見込みがないと思ってやめる。断念する。
引用:weblio国語辞典
なんとなく違いはわかりますが、辞書の内容だけでは中々使い分けをするのは難しいですよね。
以下で詳しい意味や例文を見ながら、それぞれの違いを確認していきましょう。
「放棄」の意味と例文
「放棄」は、漢字を読み解いていくと、「放(はな)つ」「棄(す)てる」の意味となります。
自分で何かを手放したり、逃げたりするときに使われるため、ネガティブな場面で使われるのが一般的です。
では、例文を見てみましょう。
・数学の模試で最終問題がわからなかったので、回答を放棄した。
・今日は眠たいので、部活の朝練は放棄する。
どちらの例文も自分から手放しているのがわかりますね。
自分を基準にやらないと選択したときに「放棄」を使います。
「諦める」の意味と例文
では、「諦める」はどのような意味があるのでしょうか。
一般的に、望みをかなえられないときに「諦める」を使います。
例文を見てみましょう。
・受験日まで一週間を切った。これまで一日18時間勉強をしたが、偏差値が足りないため第一志望の大学を諦める。
・1試合目にして強豪校との試合になったので、大会出場は諦めている。
「第一志望の大学に行きたい・予選を突破したい」という望みをかなえるためには、さらに長期間勉強したり、対戦相手を変えたりせざるを得ません。
しかし、どちらの例文も受験日は決まっていますし、試合相手も決定しています。
そのため、長期間の勉強や対戦相手を変えることはできないのです。
「諦める」という言葉は、例文のように自分ではどうしようもなく、希望や見込みがないときに使います。
しかし、「諦める」の「諦」という漢字には、もう一つの意味があるのは知っていますか。
では、もう一つの意味を解説していきます。
「諦める」の仏教用語はポジティブな意味で使われる
「諦める」の「諦」は、仏教用語で「明らかにする」「真理」といったポジティブな意味があります。
受験や仕事、人生の選択に迫られたときに、現状を観察して明らかにしてみましょう。
客観視して自分の実力がわかると、「やれる」や「諦める」という選択肢になりませんか。
「諦める」はネガティブな言葉に捉えられますが、実は、一生懸命やった結果なのです。
「放棄」と「諦める」の違いまとめ
以上「放棄」と「諦める」の違いと正しい使い分けを説明しましたが、ご理解いただけたでしょうか。
最後にもう一度、使い分けのポイントをお伝えします。
- 放棄:自分の意志でやらないと決めること
- 諦める:自分の意志とは関係なく、希望や見込みがないため、やれないこと
ぜひ、この記事を参考にして意味や使い方をマスターしましょう。